新薬師寺は春日大社の南 高畑エリアにあります。

奈良時代に造られた日本最古かつ最大級の十二神将像が人気のお寺です。

薬師寺とついているので、西ノ京の薬師寺と関係のあるお寺だと思い込んでいたのですが、

実は、薬師寺と新薬師寺とは関係のないお寺だそうです。

また、更に南に行った橿原市に、本薬師寺跡がありますが、

こちらは、薬師寺とは関係があります。

薬師寺と新薬師寺と本薬師寺の違いについてまとめています。

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薬師寺と新薬師寺の違い、本薬師寺との違いは?おすすめは?

薬師寺は、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒のために発願したのが始まりで、持統天皇によって本尊開眼、文武天皇の御代に飛鳥地方に創建されました。

その後、平城京への遷都にともない、今の地に移されました。

薬師寺と新薬師寺の違い

新薬師寺とあるので、新しい薬師寺として創建されたと思っている方も多いです。

私もその一人でした。

が、新薬師寺の新は新しいという意味ではなく
あらたか
の意味で、

神仏の霊験(れいげん)や薬のききめなどが著しいこと。という意味だそうです。

新薬師寺は光明皇后が夫である聖武天皇の病気治癒を祈願して747年に建てたお寺になります。

実は、宗派も

薬師寺は法相宗

新薬師は華厳宗

と違います。

⇒新薬師寺についてはこちら

ただ、薬師寺、新薬師寺ともに薬師如来を安置してあるお寺という意味では同じです。

薬師寺と本薬師寺との違いは?

薬師寺と新薬師寺の違いが分かったところで、

薬師寺と本薬師寺の関係ですが、

本薬師寺は、日本書紀にも記載されているように
天武天皇9年(680年)に「皇后が病気になり、天武天皇は『薬師寺を建てますので皇后の病気を治してください』と誓ったそうです。

天武天皇は治世15年で死去、でも未完成だったので続いて即位した皇后の持統天皇、さらに次の(天武の孫に当たる)文武天皇の時代まで建設は続いたようです。

元明天皇(文武天皇の母)が都を平城京に遷都することになり、薬師寺も移転することになります。
本薬師寺は元薬師寺や藤原京薬師寺ともよばれることもあるそうです。

以前は藤原京に建てられた薬師寺を平城京に移築説が強かったようですが、
11世紀初頭まで本薬師寺は存続していたそうです。

薬師寺は藤原京の本薬師寺の境内(伽藍)の形を再現する形で整備されたと言われています。

現在は

本薬師寺跡として特別史跡に指定されています。

お寺の姿は見ることができませんが、金堂の礎石や東西両塔の上壇、塔の心礎などを見ることができます。

例年8月下旬から9月下旬が見頃のホテイアオイはすばらしいです。

また、本薬師寺まつりが毎年10月の第2月曜日に行われ、「柴燈護摩焚き」も開催されています。

薬師寺って

薬師寺(やくしじ)は、薬師如来を本尊とする仏教寺院の名称で、法相宗の大本山 奈良の西ノ京の薬師寺が有名ですが、日本各地に薬師寺と同名の寺院は存在します。

薬師如来は、薬壺を持ち病気を治す仏様として知られる、如来の一尊で、

薬師寺は、「誰かの病気を直してもらいたい」という動機で建立されます。

ちなみに薬師如来が安置されているお堂のことは「薬師堂」といいます。

観音如来が安置されている「観音堂」、釈迦如来が安置されている「釈迦堂」、聖徳太子像が安置されている「太子堂」などもあります。

薬師寺・新薬師寺をはじめ、薬師如来がご本尊として置かれている有名な寺は、

奈良の興福寺東金堂・法隆寺・京都の東寺金堂・醍醐寺・比叡山延暦寺などまだまだ、たくさんあります。

⇒薬師寺についてはこちらの記事をご覧ください

薬師寺・新薬師寺・本薬師寺 おすすめは?

スケジュールと好みにもよりますが、

新薬師寺は奈良公園 東大寺や春日大社の近くなので、スケジュールに組み込みやすいです。

薬師寺は、近鉄奈良駅から西大寺に出て、橿原神宮や天理行に乗り換えなければなりません。

また、薬師寺の近くには唐招提寺もありますので、できれば一緒に拝観したいところです。

薬師寺は、国宝の東塔が解体修理中で、2020年4月に完成する予定です。

また、唐招提寺の御影堂も2020年まで平成大修理に入っていますので、これらがすんでから行くのもおすすめです。

また、薬師寺には玄奘三蔵院伽藍に平山郁夫画伯の『大唐西域壁画』もありますので
公開期間をチェックして行くのもいいですね。
 1月1日~15日
 3月1日~6月30日
 8月13日~15日
 9月16日~11月30日

まとめ

薬師寺と新薬師寺と本薬師寺との違いわかっていただけましたか?

薬師寺と新薬師寺は薬師如来をご本尊とするお寺として、病気を治したいという共通点はありますが、創建の目的も、宗派も違います。

薬師寺と本薬師寺の違いは

藤原京の時代に本薬師寺が建てられ、都が平城京に移って、西ノ京に薬師寺が創建されました。

本薬師寺は現在は遺跡のみです。