薬師寺といえば、薬師三尊像、写経体験、平山郁夫といろいろ見どころはありますが、やはり一番印象的なのは、東塔と西塔の美しい姿ではないでしょうか!?

若草山の山焼きもこの2つの塔を入れての写真が人気です。

ただ、薬師寺の東塔は2010年(平成22年)晩秋から約10年間

約1世紀ぶりの解体修理に入っています。

今は

2018年の春に、村上管主が落慶法要の日程を2020年4月22~26日と発表されていますので

若草山の山焼き+東塔と西塔の写真が撮れるのは、2021年オリンピックの次の年の山焼きからになります。

また、年輪年代測定の結果、薬師寺の東塔は710年の平城京遷都以降に建てられた可能性の高いことが明らかになっているそうです。

ところで、

薬師寺の東塔と西塔は何重の塔とおもわれますか?

6重の塔のように見えますが、6重の塔とはあまり聞かないから、五重塔?と思われている方も多いと思います。

薬師寺の東塔と西塔は実は三重の塔なんです。

薬師寺の東塔と西塔の違い等についてもご紹介します。

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薬師寺の東塔の修理はいつまで 東塔と西塔の違いは?三重塔?五重塔?

薬師寺は天武天皇が皇后の病気治癒を祈願して680年に建てたお寺です。

藤原京に建てられた薬師寺は都の移転(藤原京→平城京)に伴い、奈良の今の地に移転し建てられたのが現在の薬師寺です。
藤原京にあった薬師寺は、「本薬師寺」とよばれ、今は本薬師寺跡しか残っていません。

薬師寺の東塔の修理はいつまで

東塔は、解体修理工事は2010年晩秋から始まり、約10年後の2020年まで見ることができません。

落慶法要は2020年4月22~26日と発表されています。

平成21年より解体修理に着手しており、現在は覆屋に覆われておりその姿を拝むことは出来ません。修理の概要として、瓦、木部、基壇などを全て解体し、地下の発掘調査が行われます。その後、傷んだ部分の修繕を行いながら再び組み上げ、平成32年の春に修理が完了する予定です。

薬師寺の東塔と西塔の違いは?

東塔と西塔は、その美しい姿によって、海外からも高い評価を得ています。

薬師寺の東塔は創建以来いくつもの戦禍や火災をくぐり抜け、薬師寺伽藍唯一の創建時の建築物として今日までのこっているものです。

が、西塔は1981年、40年ほど前 453年ぶりに、再建されたものなんです。

西塔は1528年、兵火によって金堂、講堂、中門、僧坊などとともに焼亡しました。
薬師寺にのこされた伽藍は東院堂(鎌倉時代の再建)と東塔だけになってしまっていました。

1960年代後半以降に復興事業が進められ、1981年、453年ぶりに、薬師寺に東西両塔が並び、
2002年までに中門、回廊、大講堂が次々と再建されました。

薬師寺の東塔と西塔も両方、各層に裳階(もこし)を付けているため、六重の塔に見えますが、三重の塔です。

薬師寺の東塔は特異な形が、全体として律動的な美しさを保ち「凍れる音楽」との愛称で親しまれているそうです。

薬師寺の塔の裳階は天武天皇に寄り添う持統天皇を表したものともいわれる、ロマンチックな説もあるんです。

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ただの装飾ともいわれていますが、有効な耐震構造の働きをしているそうです。

薬師寺の東塔と西塔の違いは、見ればすぐにわかります。

1300年年月の違いがあるんですから。。。

新旧の、色の違いはもちろんですが、

屋根の反りの違い、連子窓(れんじまど)があるかないか等、よく見るといくつかの相違点があります。

なんでも、

東西両塔の大きさ、形状の違いは木材の乾燥収縮を、基壇の高さの違いは地盤沈下を考慮したものであり、500年後には東西両塔が同じ高さになり、1000年後には屋根が設計どおりの形状になるのだそうです。

500年、1000年を見据えた仕事ってすごいです!!

薬師寺の行きかたや料金

奈良市西ノ京町457

近鉄西ノ京駅から徒歩ですぐ

拝観:8:30~17:00

料金
大人:800円 中・高生400円、小学生200円
※玄奘三蔵院伽藍公開期間中:大1100円、中・高生700円、小学生300円

玄奘三蔵院伽藍公開時、伽藍内では平山郁夫氏が30 年かけて描いた、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」が拝観できます。

六重の塔って?

薬師寺の東塔と西塔を見ると、六重の塔に見えます。

六重の塔に見えるのは、各層に裳階(もこし)が付いているからですが、六重の塔はないのでしょうか?

六重の塔がないのは、

仏教では「奇数」は「陽(能動)」、「偶数」は「陰(受動)」という考え方をします。
「塔」のような地面から立つ縦に長いものは「能動」の表れであることから、三重塔・五重塔のように奇数のものに限られています。
まれに四重塔に見えるものもありますが、ほとんどが一番下の屋根は「裳階(もこし)」という「庇(ひさし)」である「三重塔」です。

五重塔は興福寺をはじめ法隆寺・室生寺・海龍王寺・元興寺と数多くあります。

五重塔は仏教の世界観・五大思想から、下から「地」「水」「火」「風」「空」を表しているといわれています。

三重塔は下から「国家万民」「官吏等の支配階級」「天子(国王・帝)」の安心・安寧を願うためのものとする天台宗の考えの反映とされています。(三重塔は天台宗の寺院に圧倒的に多い)

最後に

薬師寺はピカピカしていて、写経など、お金儲けがすごいって少し思っていましたが、

創建当時の偉容を復元しつ
高田好胤(たかだこういん)が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められてきた。

白鳳伽藍には天武天皇の立派な理想の国を造ろうと熱意を表しているということで、これから先の日本を見据えての復興だったのですね。

また、藤原京から平城京の遷都に伴う大寺院の移転は、薬師寺以外にもあり、
法興寺(飛鳥寺)→元興寺、厩坂寺→興福寺なんかも名前は変わってますが、同じ寺が移転したものだそうです。