奈良の高取にある、子嶋寺は今は無住職で、本堂の拝観も受け付けられていません。

本堂には入れませんが、外からはお参りができます。

以前は「大和七福神」めぐりの大黒天さんを祀るお寺でもありました。が、今は、子嶋寺から長谷寺へと遷っています。

奈良県民でも知らない、ひっそりとしたお寺ですが、国宝・両界曼荼羅図(子島曼荼羅)があります。

また、こちらの山門は、高取城の二の門を移築したもので、現存する唯一の高取城遺構なんです。

奈良の子嶋寺の曼荼羅は国宝です。子嶋寺の駐車場やアクセスは

子嶋寺はお薬の町、高取町にあります。

平安時代には長谷寺・壺阪寺に次ぐ観音寺として栄えたとのことです
高取城の山門は明治時代に移築されたそうです。

国宝の両界曼荼羅図は奈良国立博物館にあり、寺にあるのは銅板レプリカとのこと。

子嶋寺の十三重石塔は、一条天皇から下賜されたものと伝えられます。

藤原道長の日記「御堂関白記」によれば、
寛弘4年(1007年)には道長がこの寺に参詣している由緒あるお寺です。

奈良の子嶋寺って

創建は760年、考謙天皇の勅願により、僧・報恩によって開かれたお寺とされています。また、別の記録では、桓武天皇が「子嶋山寺」を建立したという記録も残されており、詳細は不明です。

寺号は「子嶋山寺」→「観覚寺」→「千寿院」→「子嶋寺」と変遷しており観覚寺は、二番目の寺号。地名もこれに由来しているので一番栄えていた時かもしれません。

平安時代から室町時代にかけてに興衰を繰り返しますが江戸時代に入って高取藩主の本多氏により再興されました。本多氏・植村氏の庇護を受け、この一帯は全ては子嶋寺さんの寺領だったそうです。

本堂には、高取城主の植村氏の念持仏が祀られており、毎朝3時に城主自らがお参りに来ていたのだそうです。その当時は、住職と高取城主しか入室できなかったそうです。

明治時代の廃仏毀釈運動ですっかり衰退したようです。

子嶋寺の曼荼羅は国宝です

小嶋寺には子島曼荼羅の名で知られる「紺綾地金銀泥絵両界曼荼羅図(こんあやじきんぎんでいえりょうかいまんだらず)」があり、日本三大曼荼羅の1つとして、国宝の指定を受けています。

お寺にあるのは残念ながら4分の1の複製です。
本物は奈良国立博物館に寄託されています。

一条天皇の時代に、天皇の病気平癒を祈願した真興に、褒美として与えられたのが子嶋曼荼羅だそうです。

子嶋曼荼羅は、胎蔵界と金剛界の二つの世界が、金泥・銀泥を使って荘厳に描かれ、実物は縦横3mほどの巨大なものです。

2,800年前のインドにまで遡り、中国を経て弘法大師の手に渡ります。嵯峨天皇に献上された後は、200年近くも宮中の本尊とされていました。一条天皇の御代になり、天皇の病気平癒を祈願した真興(しんごう)に褒美として与えられ、子嶋寺の宝物として伝わります。

日本三大曼荼羅

日本三大曼荼羅って他はどこ?って気になりますね。小嶋寺の「紺綾地金銀泥絵両界曼荼羅図」の他の曼荼羅は京都の神護寺と東寺のものです。

京都・神護寺の紫綾金銀泥絵両界曼荼羅図(むらさきあやきんぎんでいえりょうかいまんだらず)(高雄曼荼羅)

高雄曼荼羅は現存最古の大曼荼羅だそうです。

東寺の立体曼荼羅は「羯磨曼荼羅(かつま・まんだら)」とも呼ばれ空海作だそうです。

子嶋寺のご朱印

以前はご本尊の「大日如来」の力強い文字でいただけましたが、今は御朱印はないようです。
子嶋寺のご朱印

子嶋寺と清水寺の関係は

子嶋寺は実はあの京都の清水寺の親寺に当たる存在なのだそうです!?

子嶋寺の僧・延鎮と、征夷大将軍「坂上田村麻呂」によって、子嶋寺の別院のような扱いで開かれたのが、京都の大寺院「清水寺」。清水寺の有名なエピソード 夢のお告げによって音羽の滝を見つけた僧というのが、子嶋寺の僧、延鎮さんなんです。

子嶋寺の駐車場やアクセスは

橿原側からだと吉野ストアとキリン堂の信号を左折するとすぐです。駐車場もあります。
⇒子嶋寺をグーグルマップでチェック

子嶋寺(子嶋山)こじまでら データー

住所: 奈良県高市郡高取町観覚寺544
宗派: 真言宗御室派
本尊: 大日如来
創建: 760年(諸説あり)
開基: 報恩大徳(孝謙天皇勅願)
拝観料: 境内無料。
拝観時間:外観のみ見学自由(拝観不可)
駐車場: 無料
アクセス: 近鉄吉野線「壺阪山駅」から徒歩10分

文化財寄託先
・紺綾地金銀泥絵両界曼荼羅図(国宝)→奈良国立博物館
・十一面観音立像(重文)→東京国立博物館

三大山城って

子嶋寺の山門は、大和高取城の門を移築したものです。
大和高取城は、美濃岩村城、備中松山城と共に三大山城の一つなんです。

その大和高取城の遺構の山門を子嶋寺で見られるのですね。
明治時代に取り壊されてしまった「高取城」現在の高取城跡は、かすかに石組みが残るだけですが(壷坂寺をさらに奥に行ったところにあります)、当時は姫路城とも並び称されるような巨大な山城でした。

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